茅の輪について

茅の輪は、備後国風土記の蘇民将来に由来するものであります。蘇民将来の話を紹介します。

 

昔、素戔嗚尊(すさのおのみこと)がお嫁さんを探していました。そこで、北の海から、南の海に旅立ちました。途中、ある村にさしかかるとすっかり日が暮れてしまいました。そこで、宿を探すことにしました。見ると、立派なお屋敷が建っています。そこは巨旦将来(とたんしょうらい)の家でした。スサノオは巨旦将来に宿を借りたいとお願いします。そうすると巨旦将来は断り、スサノオを追い出しました。それを見かけた蘇民将来(そみんしょうらい)はスサノオに話しかけ貧乏ながら家に泊めることにしました。蘇民将来は貧乏ですが、スサノオに栗ご飯を出し、精一杯にもてなしました。翌朝、スサノオが旅立つときに、蘇民将来に茅の輪を渡し、スサノオは「茅の輪を腰につければ、疫病から身を守ることが出来る」といいました。その後、疫病が流行り、蘇民将来はスサノオから頂いた茅の輪を腰に巻き助かり、スサノオを泊めなかった巨旦将来は全員死んでしまいました。

それ以来、村人たちは疫病が流行ると腰には茅の輪巻いて、疫病の難から逃れたというのです。

 

 

神社で大きな茅の輪をくぐって悪いものを祓う「茅の輪くぐり」の習慣は、ここから生まれたともいわれています。